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2009.10.09

チチェンイッツァ遺跡の不思議-古代文明へタイムスリップ-

チェチェンイッツァ遺跡。

この遺跡を見たい!というのがカンクンにきた一番の目的だった。

今日は朝からそのお目当てのチェチェンイッツァ遺跡を見に行くことにした。

たくさんのチェチェンイッツァ遺跡ツアーがカンクンから出ているけれど、個人で周るのに特別難しい立地にあるかというとそうでもない。カンクンのセントロにあるバスターミナルからADO(アデオと読む)というバス会社でチチェンイッツァ行きのバスチケットを買ってダイレクトで行くことができる。ガイドを付けたいひとは現地で声をかけてくるガイドさんにお願いすることもできるみたいだったけど、わたしたちは個人で周ることにした。

深い深いジャングルの奥地まで2時間半バスに揺られて、チェチェンイッツァ遺跡に到着。

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焼けどしそうなぐらい強い日差しを受けながら遺跡の入り口から中へと入る。すると木漏れ日で満たされた小さな道があった。これが遺跡につづく道なのかどうかわからなかったけれど、とりあえずその道を行くことに。歩けど歩けどなかなかチェチェンイッツァのピラミッドが見えてこない。かまわずどんどん歩いていくと、次第に開けている場所が向こうの方に見えてきた。そしてついにご対面!

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別名「ククルカンのピラミッド」とも呼ばれているこの神殿ピラミッドはチチェンイツァ最大の高さを誇っている。ククルカンとは羽毛のある蛇の姿をしたマヤの最高神のこと。毎年春分の日と秋分の日になると、太陽の光がこのピラミッドの階段にあたりそれが蛇のような形状の影になることから、1年に2度ククルカンが降臨するといわれている。またこの現象はピラミッドの4面が東西南北よりぴったり17度傾いて建てられているために起きるもので、4面が正確に東西南北を向いていたらこの影はできないらしい。天文学と数学に精通したマヤ文明ならではの仕掛けというわけである。ちなみにピラミッドの4面の階段91段を合計すると364段となり、最上段の神殿の1段を足すと、ちょうど365段となっていることから、暦のピラミッドとも言われているとか。

そんな神秘的なピラミッドを前に、わたしたち二人は「うわぁ~すごいなぁ!」という単純明快な言葉しか見つからず「すごい!すごい!」を連呼。紀元前1世紀ごろの謎のピラミッドを前に、二人して口を開けたまま呆然と見上げていた。またピラミッドの前で手をたたくとその音が階段を登って頂上に到達し、7回反響するというニクイ仕掛けがあるこのピラミッド。チェチェンイッツァ中に響き渡る「ビ~ィイィン」という変った音にまたまた感動したわたしたちは飽きるまで何度も何度も手をたたいた。

このマヤの天文台だったとされるのがこのカラコル(カタツムリの意味)。

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天体望遠鏡もない時代にマヤ人はほとんど誤差なく暦を知っていたという。カタツムリ型の天文台から何年もかけて肉眼で観測して正確な暦を作り出していたらしい。

そしてこれがかの有名な

しかし今から約5000年前に誕生したというこのマヤ文明は、巨大なピラミッドを残して9世紀から10世紀ごろに忽然とその姿を消している。現代のような高度な天文学と数学をもちながらなぜ忽然と姿を消したのか、その謎はいまだに解明されていないらしい。マヤ文明はマヤ暦という独自のカレンダーを使用していたとのこと。最近ではハリウッド映画「2012」で「マヤ暦」がでてくるとか。

そしてかの有名なチャックモール像のある戦士の神殿。

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腹筋を鍛えている途中に声を掛けられたかのような姿勢のチャックモール像。

わたしなら腹筋がプルップルになっているであろうかなりキビシイ姿勢でチャックモールは何千年もの月日を過ごしている。

お茶目な格好とは裏腹にその使われ方はとても残酷なもの。

生け贄のまだ動いている心臓をチャックモール像の皿の上に置いたという説もあるのだ。

そして生け贄はゴムボールを使用した戦士たちの球技で決められ、なんと勝者のキャプテンが生け贄になったという。

このスカルの絵のレリーフが掘られている写真は、実際に生け贄の頭蓋骨を置いた場所だということ。

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こういった遺跡がごろごろあるチチェンイッツァだけど、強烈な日差しのもとで見る遺跡たちはそれほど不気味な感じはしなかった。不気味さよりも先に蒸し暑さが気になるからかもしれない。流れる汗をぬぐいながら、この暑さの中生け贄を決める試合をしたであろう戦士たちのことを考えるとなんともいえない気持ちになった。

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